第43回 大学・大学入試情報コラム
学校が高校生を「子供たち」と呼ぶのは管理の表れである
2022年10月
教育ジャーナリスト 小林哲夫
「子供たちは何一つ悪いことなく、一生懸命に最後までやってくれた」
今年8月、夏の甲子園大会で、優勝候補筆頭の大阪桐蔭高校が準々決勝で負けたとき、監督がこのような言葉をかけていた。
今年5月、熊本の私立高校サッカー部のコーチによる暴力事件は問題となったとき、記者会見で学校はこう弁明していた。
「学校側が早くから対処していれば、子供たちを苦しめることはなかった」
今年3月、東京大合格者を増やした公立高校教頭がこんな談話を発表していた。
「進路指導教員の教えに従って子供たちが必死に勉強してがんばりを見せてくれました」
3者に共通する表現にはどうしても引っかかってしまう。
高校3年生、17~18歳に対して「子供たち」はおかしくないか。
この疑問を教員歴40年近いベテランにたずねてみた。親子関係でもないのに、なぜ、「子供」と呼ぶのか、
「先生にとって生徒は子供なんです。先生は生徒との関係を対等とは絶対に考えていません。知識、技術、人生経験などすべての点で勝っているという自負があります。教えなければならないことはたくさんあると考え、年長者として「子供たち」とつい口に出てしまうのは自然なことです。もっとも、子供たちからバカにされたくないために威厳を保っていたいというプライドもあるでしょうね」。
自分の子供でなくても、10代の少年少女には「大人」との対比で「子供」と呼ぶ。それは教員に限らないことだ。「能力が十分に備わっていない子供にはまだ早い」「分別がついていない子供が読むのは危ない」などだ。
しかし、高校生、16~18歳を「子供」とくくっていいのだろうか。能力はほんとうに備わっていないのか。分別がつかないのか。それは年齢というよりは個人差によるものではないか。とくに高校3年生ともなれば、かなりの能力、分別を身につけることができると思う。
それは国もしっかり認めたことだ。18歳選挙権、成人年齢18歳引き下げである。
今年4月、民法改正で成人年齢が20歳から18歳に引き下げられた。変更点の大きなポイントは18歳で社会との約束事を決められる、社会そのものに参加できることである。クレジットカードの作成、ローンでの購入、アパートの契約などが法律上は可能になった。そして公認会計士、司法書士などの資格が得られるようになった。性同一性障害の人の性別変更の申し立ても18歳でできる。一方、女性が結婚できる年齢が16歳から18歳に引き上げられている。なお、飲酒や喫煙、競馬や競輪などの公営ギャンブルはこれまでどおり20歳未満は禁止されている。国民年金に加入する義務が生じる年齢も20歳以上のままだ。
成人年齢18歳引き下げによって、高校3年生、18歳で社会と向き合い、密接に関わることになったといえる。ほとんど「社会人」である。高校1~2年、16~17歳でも個人差はあるが、18歳と同じような能力、感性を持っている。
それは高校教員もわかるはずだ。
今年の報道を見ただけでも気候温暖化対策、ジェンダー、難民問題、元首相の国葬などに関心を持っている高校生がいる。いや、関心を持たないと18歳選挙権の意味がなくなってしまう。
そうであるならば、高校教員、部活動指導者が高校生を「子供たち」と呼ぶのはおかしい。実際、学校内では教員と生徒には主従関係が生まれ、教員は「主」に演じる。もっといえば、力関係で教員は「権力を持っている」立場を行使できる。それが習い性になっていると、教員はいつも「大人」で、高校生はいつだって「子供たち」なのかもしれない。
だが、その発想はもうやめませんか。
社会との関わり合いでいえば、教員と生徒のあいだに主従、上下の関係はない。自民党を支持する、共産党に投票することについては、教員も生徒も同じ立場である。
だから、「子供たち」という言い方はもうやめてほしい。教える、指導する立場からであっても、「子供たち」ではなく「生徒たち」でいいのではないか。冒頭に紹介した談話をすべて「生徒たち」に置き換えてもなんら違和感はない。
ヤクルトスワローズ、西武ライオンズの監督をつとめた広岡達朗さんは、選手のことを「あの子は」と言ったことを、ときどき思い出す。広岡さんはトレーニング方法のほかに外出、食事など生活面でルールを作り、「管理野球」と呼ばれたことがある。両チームで日本一を達成したので、それなりに評価された。しかし、「あの子は」は「子供たち」の延長線上に見えてしまう。いい大人になっても管理され続けなければならないのか。そう思ったものだ。そして、「子供たち」からは管理の発想が感じられる。教育」色を感じるからかな。
いま、そんな時代でなないだろう。
生徒が「子供たち」という枠組みから早く解放させてほしい。管理という言いなりの世界から離れれば、自分でものを考え、自分で行動できるようになる。それは文部科学省が教育のあり方として提唱する「自分の頭で考える」ことにつながるのだから。
そして、2017年告示の学習指導要領には「主体的に学びに向かい,必要な情報を判断し,自ら知識を深めて個性や能力を伸ばし,人生を切り拓いていくことができる」「対話や議論を通じて,自分の考えを根拠とともに伝える」ことを唱えている。主体的、対話的で深い学びを推奨するものだ。もう「子供たち」の世界ではない。
高校は「子供たち」に別れを告げよう。