第19回 大学・大学入試情報コラム

不祥事で試される大学の発信力
―――説明で済ませるか、「深くお詫び申し上げる」か

2021年7月
教育ジャーナリスト 小林哲夫

 2021年6月、オンライン授業でなかったらならば、起こりようがない教員の不祥事があった。駒澤大の非常勤講師がオンライン授業において、アダルト動画サイトに掲載された性的なシーンを流したのである。事はすぐに発覚して、講師は学生にメールでこう謝罪している。
「不適切なWebサイトにアクセスし、それが出席者の皆さんの目に触れました。受講生の皆さんに、精神的な不快感を生みだしてしまいました。講師としてあるまじきことと赤面の至りです。オーバーワークの中で疲労が積み重なる中で、ふと魔が差したものですが、言い訳にはなりません。ついてはこのまま授業を継続することはできません。ついては連絡をおまちください」。
 ここでは「不適切」と記すだけにどどめ、アダルト動画を流したことを記していない。だが、「赤面」「魔が差した」という表記から想像がつく。これを視聴した学生の証言もあり、授業中の「エロ動画」配信の事実関係は間違いない。
 大学はすぐにウェブサイトで謝罪した。
「令和3年6月15日(火)、オンライン授業中に当該授業を担当する非常勤講師により、不適切なWebサイト画面が受講生に共有されたとの事実を確認しました。教育に携わる者として、軽率かつ不誠実な行為であり、あってはならないことです。受講生の皆さまには、ご不快・ご不安な思いをおかけしたことを、深くお詫び申し上げます」(同年6月16日)。

 2020年8月、京都精華大の教員がミュージシャンの松任谷由実さんを侮辱する発言を行った。松任谷さんがラジオ番組で安倍首相辞意について「テレビを見ていて泣いちゃった、切なくて」などと話したところ、同大学教員がSNSで「荒井由実のまま夭折すべきだったね」などと書いてしまい、大学に抗議が殺到してしまう。京都精華大はウェブサイトでこう謝罪した。
「「人間尊重」「自由自治」を理念に掲げ、ダイバーシティの推進により多様性を大切にする本学では、個人の主義主張、思想、信条の表現や発言に寛容でありますが、今回の発言は、人間の命を軽んじた内容であり、人間尊重の立場をとるべき本学教職員として不適切な行為であったため、厳重な注意を行いました。本件におきまして、不快な思いをされた方々、ご心配をおかけした方々に、深くお詫び申し上げます」(同年9月1日)。

 大学の数が780以上、大学進学率がおよそ55%となったいま、キャンパスで何が起こるかわからない。学生や教員がどんな不祥事を起こすか予測できない。
 最近10年、大学の関係する事件を振り返ると、殺人、傷害、性犯罪(強姦、痴漢など)、セクハラ、パワハラ、不正入試、大学施設耕士関連での汚職、論文捏造、研究費水増し、差別発言などが起こっている。
 不祥事は、大学教員よりも学生のほうが多い。数の上では学生数が圧倒的に多いのだから当たり前である。
 ここで、大学の名前が出てしまう、伏せられるケースに分かれる。学生が犯罪をおかした場合、地方の私立大学は、警察発表でそもそも名前が出てこない。メディアが調べて大学名が報じられないことがある。大学の名誉を慮ったからと言えよう。ある大学から犯罪者が出たところで、不正入試や贈収賄など大学が関与していない限り、その大学とは何ら関係ない話である。大学当局、学生にすればかえって迷惑は話だ。

 しかし、都会の有名大学となれば話は違ってくる。
 2018年9~11月、慶應義塾大の学生が3カ月のあいだで5人逮捕された。1つの事件ではない。4つの別々な事件だ。大麻取締法違反、電車内で痴漢をしたあと線路に降りて逃走した東京都迷惑防止条例違反と威力業務妨害の疑い、準強制性交の疑い、準強制わいせつと昏睡強盗である。いずれもメディアで大学名、学生の名前が公にされてしまう。
 慶應義塾はウェブサイトでこう声明を出した。
「本大学の学生が逮捕されるという事案が、複数件発生していることは誠に遺憾です。今後大学としても各事案について事実関係を確認し、厳正に対処する所存です。また、一部の学生の不祥事によって、多くの方々に多大なご心配とご迷惑をおかけしていることは慙愧に耐えません。言うまでもなく、犯罪は断じて許されない恥ずべき行為であり、慶應義塾の気品を損ね、多くの方々の慶應義塾への信頼を裏切る行為です。塾生諸君には、「気品の泉源」「智徳の模範」を標榜する慶應義塾の塾生であることを自覚して、責任ある独立した個人として行動し、勉学に励み続けることを心から望みます。慶應義塾」。

 2016年11月、東京大では学生が強制わいせつ事件を起こして、逮捕されている。こちらも大学名、学生の名前が明らかになった。
 このとき、五神真総長がウェブサイトで声明を出した。
「本学の学生が集団で起こした事件について 
 本年5月、本学学生5名が他大学の女子学生1名に対する強制わいせつの容疑で逮捕され、内2名が強制わいせつ及び暴行、1名が強制わいせつの罪でこのほど有罪の判決を受けました。当該学生らの行為は、被害にあわれた女性に大きな苦痛を与え、その尊厳を深く傷つけるものであり、決して許されるものではありません。東京大学のサークルのイベントと称する場で、高い倫理観と社会的常識をそなえているべき本学の学生が、かかる反社会的で恥ずべき行為を集団で行なったことを、総長としてまことに残念に思います。
(以下、略) 2016年11月10日  東京大学総長 五神 真」

 2015年1月、名古屋大の女子学生が70歳代の女性を殺害した容疑で愛知県警に逮捕された。
 名古屋大はこの件について、会見を開いていない。ウェブサイトにおいて学長名義で次のような談話を発信している。
「故人のご冥福をお祈りしますとともに、ご遺族の方に心から哀悼の意を表します。今は、痛恨の思いで、捜査の推移を見守っています。今後、大学として、学生のみなさんの心のケアに努めてまいります」(同年1月27日)。
 同年1月、大正大の非常勤講師がキャンパスで全裸になって女子学生の前で土下座するできごとがあった。大学はウェブサイトでこう告知した。
「公序良俗に反し本学の秩序を著しく乱す不適切な行動がありました。それをみて不快な思いをされた学生、来訪者、その他の本学関係者の皆様、及びこのような情報に接し不愉快な思いをされたすべての方々に対して深くお詫び申し上げます」(同年1月8日)。
 すこし古いが、2013年9月、早稲田大の学生が京都伏見稲荷大社千本鳥居の前で全裸でポーズをとった画像を掲載して炎上してしまう。大学の反応は早かった。
「関係の方々に多大なるご迷惑をおかけし、また社会をお騒がせしましたことを深くお詫び申し上げます」(同年9月11日)。

 ここにあげた8校の大学声明をもう一度、読んでほしい、駒澤大、京都精華大、大正大、早稲田大は「深くお詫び申し上げます」と謝罪している、一方で、慶應義塾大は「慙愧に耐えません」、東京大は「まことに残念」、名古屋大は「痛恨の思い」という言い方で済ませ、謝罪の意を示していない。
 大学の不祥事への対応姿勢が読み取れる。
 これら7校の不祥事は、大学が組織的に不正を働き犯罪に関与したわけではない。したがって大学が頭を下げる必要はない、という見方もできるだろう。とくに学生はもう大人なのだから、という理由で、大学に監督不行届を求めるのは筋違い、という意見もある。もっともであるが、それで世間は納得いくだろうか。
むずかしいと思う。

 大学はあらゆる不祥事について例外なく、その責任を認めて謝罪すべきである、と言いたいからではない。大学は、大学の構成員である学生、教職員の不祥事をどこまで背負い、それを発信すべきか、という問題提起をしたかったからである。
 大学にすれば、教員や学生がバカなことをしたおかげで名誉を傷つけられたと、訴えたいぐらいでいい迷惑である、というのがホンネかもしれない。でも、ここは謝罪したほうが得策だと考えてしまう。そして、形式的、マニュアル的に頭を下げる。だが、こんな上っ面な謝罪では、大学が体面を繕っている姿勢も見え見えであり、かえって不信感を抱かせかねない。前出、早稲田大の「社会をお騒がせしました」的な説明では、なぜ謝罪するのかかが明らかにされていない。不十分だ。
 では、どうしたらいいか。
 
 大学は教育機関としての公共性が高い。何らかの説明を行うべきである。
 公共性とは、広く社会一般の利害にかかわる性質、を意味する。卒業生が社会で活躍する、教員が研究分野で貢献する、大学の存在が地域に役立つ(経済を支える、市民に知識や技術を伝える)など。社会全体の利益に大きくかかわることは間違いない。公益である。それゆえ、不祥事について、大学は情報公開に努め、説明責任を果たすべきである。大学の体面というレベルではない。
 そこから先、謝罪するかどうかは、大学の考え方に委ねられる。自らの教育方針、教育理念から謝罪すべきと思うのであれば、詫びる。それにはおよばないと判断するならば、頭を下げることはない。

前出の京都精華大では、教員の発言が大学の理念である「多様性の尊重」「人間尊重の立場」に反することを説明し、謝罪した。これは評価したい。
 不祥事について謝罪しなかったとしても、大学がその背景、理由をきちんと説明して、多くの人が納得すれば、それでいいケースもあろう。だが、前出の東京大、慶應義塾大は明らかに説明不足である。だれも納得できないのではなはいか。

 2020年3月、京都産業大の学生数人が新型コロナウイルスに感染していることがわかった。彼らは海外旅行から帰国したばかりということもあって、SNSを中心に批判されてしまう。海外渡航制限がなされていたとはいえ、正義を振り回して学生を非難するのはおかしい。こわい。これによって、同大学で感染していない学生までアルバイトを断られたり、喫茶店への入店を拒まれたりするケースがメディアで伝えられた。大学はウェブサイトでこう告知した。
「令和2(2020)年3月28日(土)、京都市保健福祉局からの連絡を受け、欧州旅行から帰国した本学学生2人が、新型コロナウイルス感染症に罹患していることが判明しました。また、3月29日(日)に同じく欧州旅行から帰国した本学学生1人、帰国後に当該学生と接触した本学学生4人についても罹患していることを確認しました。皆様には、大変ご心配とご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます」(同年3月29日)。
 これは謝る必要ないとわたしは考える。病気になることは不祥事ではない。むしろ、同大学の学生に対する差別をやめるよう、よびかけてほしかった。差別する人たちにその誤りを説く声明を出してもいい。

 さて、不祥事への対応をみると、大学の思想がよく見える。大学トップの思想といっていい。
前述、大正大の学長はこう呼びかけた。
「本学は真摯に反省し、知り得た情報を本ホームページで公開しています。この報告を信頼していただきたいと思います。今回のことについて、学生諸君はさまざまな情報を知りたくなるかもしれません。しかし個人的な興味が他人の人権を侵すことにも留意してください」。
 教育的なメッセージが織り込まれ、好感がもてる。

 最後に、大学の不祥事に対する見解として、すぐれた声明を紹介しよう。
 2006年、大阪大の学生が母親を殺害した事件があった。
このとき、副学長の鷲田清一さんは、学生にこう訴えている。
「この『凶行』の理由が自身の『塞ぎ』や『苛立ち』や『苦しみ』にあるならば、それらをもっと広い視野から捉え直す努力をこそしてほしかったと思います。大阪大学の教育課程がそれに対して無力であったことに、強い悲しみと反省を禁じ得ません。(略)『問題』を独りで抱え込まずに、友人に、教員に、学生相談室の職員に気軽に相談にのってもらうことも大切です。大学という場所では、『わたしの存在こそ社会問題である』と堂々と言っていいのです。では、その社会問題をどのように解決するのか。それが大学というところです」(2006年7月6日)。
 大学が果たすべき役割を明示し、自分たちの教育を信じてほしい、と訴える。
こんな大学は信頼できる。

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