第3回 大学・大学入試情報コラム

伝説的参考書はおもしろい

2020年11月
教育ジャーナリスト 小林哲夫

 「試験にでる英単語」(森一郎 青春出版)、「基本英文700選」(鈴木長十、伊藤和夫 駿台叢書)、「和文英訳の修業」(佐々木高政 文建書房)、「新々英文解釈研究」(山崎貞 研究社)。
 1980年代まで定番もの英語参考書である。50代以上にはなつかしい。東京大や京都大、早慶など難関大学の合格体験記には必ずこれらが並んでいた。
いまはどうだろうか。
 「試験にでる英単語」(でる単)は1967年にデビューした。都立日比谷高校教諭の森一郎が長年の入試問題分析から作り上げた。発売当初はそれほど売れなかったが、口コミでいっきに広がり、1970年代半ばには、これまで英単語集の王者だった「豆単」(「英語単語熟語集」(赤尾好夫 旺文社)を抜き去るほど、爆発的なヒットを勝ち得た。収録単語数「豆単」は3800語。「でる単」は1800語であり、受験生からすればムダを徹底的に省き合理性を貫いているところが支持されたようだ。
 「でる単」は版を重ね、改訂版が何度か出ており、森は自信満々に「いったい英単語の中から、本書に収録した単語とその訳語をとり去ったら、何が残るだろうか。それこそ、空気を抜いたボールのように、あるいは電池が入っていない懐中電灯のようにまったく用をなさないものになってしまうだろう」と記している(1997年改訂版)。これは「でる単」収録の単語を抜き取って入試英語問題が作られるのではないか、という受験生の問いに対する答えである。「でる単」は2010年代前半まで累計1700万部を売り切った。
 しかし、「でる単」の栄華はいつまでも続くわけではなかった。1980年代半ばから1990年代に入って新興勢力が現れたのである(カッコ内は初版刊行年)。「英単語ターゲット1900」(旺文社 1984年)、「速読英単語」(Z会出版 1992年)「DUO」(アイシーピー  1994年)、「システム英単語」(駿台叢書 1998年)である。「でる単」も「豆単」もまだ健在である。しかし、書店の英語参考書ベストセラーにあがってこない。ひっそりと書棚に並んでいる。

「彼はあやうく自動車にひかれるところだった」

 「和文英訳の修業」は絶版である。出版社も存在しないので、入手困難だ。1952年に刊行。1950年代~1970年代半ば、同書の「暗唱用基本文例集」の500例文は、進学校の高校教諭から圧倒的に支持され、生徒にまるごと覚えさせるシーンがよく見られた。完璧に覚えればどんな英作文にも対応できる、と信じられていた。他社の参考書で使われたこともあったようで。著者の佐々木は改訂版で、「知らん顔してゴッソリこの例文を失敬し、本などに採り入れて生活水準の向上に役立てるなどというのは、わたしの趣旨に全く外れた行為、ひとごとながら恥ずかしさに身がちじむ」とイヤミたっぷりに記している。
 ただ、例文の内容はどうも暗い。
「口を開けば必ずなにかいやみを言わずにすまされない女だった」
「彼女はうすぐらい部屋で、何時間も黙ってじいっと、ただ座っていることがよくあった」
「生きてこなけりゃよかった。死ねたらなあと彼は思った」
「バスがかどを曲がって来たなと思った次の瞬間その子のひかれるのが目に映った」
「彼はあやうく自動車にひかれるところだった」
 これらを覚えていて、むかしの受験生はトラウマにならなかっただろうか。「和文英訳の修業」も70年代半ばから、「基本英文700選」(1968年)に代わられる。この頃から老舗出版より予備校が版元の参考書が人気を博すようになる。著者も大学教授、高校教員よりも予備校講師が増えた。河合塾、代ゼミ、東進ハイスクールなどである。

牡蠣、くじらの構文は英語圏でミステリアス

 「新々英文解釈研究」の初版は1912(大正元年)。108歳になる。昭和、平成、そして令和の現在も書店に並び、累計で約500万部を数える。ただし、一度、絶版になっている。1994年のことだ。ところが、年配者が受験生時代へのノスタルジーからか、古書店、ヤフーオークションで万単位の高値がつくほどの人気が出た。そこで出版社は、2008年に「復刻版」として復刊させる。これが11刷を数え1万3000部も売れたのである。
 同書に対して、日本の英語教育を遅らせたという批判が出たことがある。例文が英語圏の日常会話でほとんど使われないから、というものだった。たとえば、同書ではHe is an oyster of a man.=「彼は牡蠣みたいな人だ」と訳させている。これは「牡蠣みたいな寡黙な人だ」という意味だが、日本人大学教授の多くがこの表現を使うので、イギリス人大学教授が不思議がったという。また、同書には、くじらの構文として有名なフレーズも出ている。A whale is no more a fish than horse is.=「くじらが魚でないのは、馬が魚でないのと同様だ」を、日本の若い外交官がみんなこれを応用して口にするので、アメリカ人政府関係者が謎に思った。日本人が牡蠣とクジラが好きらしい。でも、ネイティブはこんな言い方をしないので、その分、日本人の英語能力は向上しなかったのではないか、という見方だ。
 半世紀以上経った参考書の内容、記述は、いまに比べるとかなり高度と言える。そして教養色が強い。大学進学率10%台の受験生を相手にしていたからだろうか。50%台の今日、こうした参考書を読みこなせる受験生が少ない。わかりやすく、効率的に覚えられる内容、デザインを選ぶ。
 それでもむかしの参考書はどこか味がある。課題文、例文に人生訓のようものが結構、ある。高校の先生方、一度、寝っ転がりながら読んで見ることをすすめたい。いまの生徒にとっては、かえって新鮮なネタがそこには詰まっている。世の中、絶版参考書マニアがいる。彼らはかつて一世風靡した古い参考書を、ヴィンテージ参考書と呼んでいる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です