第52回 大学・大学入試情報コラム
大学入試は制服ではなく私服でのぞんでほしい。
2023年2月
教育ジャーナリスト 小林哲夫
2023年1月14日、共通テストの実施会場となった東京大本郷キャンパスに足を運んだ。昨年、同試験会場では高校2年生がナイフを振り回し受験生にけがを負わせた事件があり、会場付近には警察官数人が厳しく目を光らせていた。
この日、都心はかなり寒かった。いや、共通テスト、そして前身のセンター試験、もっと前の共通一次試験は、1月中旬に行われるので寒いのは当たり前だ。
にもかかわらず、である。今年も制服姿で寒そうにこごえる受験生を目にした。報道番組で共通テストの様子を伝えるシーンでも、北海道や東北地方の会場で雪の中、制服のスカート姿で試験にいどむ受験生が映っていた。
これはおかしくないだろうか。
まっとうな教員ならば、生徒の健康管理を考える、受験に向けたベストコンディションを整えるために、防寒対策としては、とても十分とはいえない制服スカートはすすめないはずだ。
また、ネクタイ着用の制服も首元がきつくしまり苦しさを感じるだろう。最近は少数派となったが男子の詰襟も首筋あたりが苦しくなる。いずれも受験には適さない。
実際、いくつかの進学校では、進路指導教員は生徒に私服で受験するように伝えている。その際、生徒に厚手のスラックスを着用する、首元をしめてしまうシャツはきない、ネクタイはつけない、ことを助言している。
一方で、大学受験において制服着用を指導する学校がある。
いったいどんな理由からなのか。
「制服受験」したことがある高校生、大学生に話を聞いてみた。それも学校からの指示だが、首をかしげたくなるような理由ばかりだ。
いくつか「制服受験」の論理を紹介しよう。それについて、ひとこと、ふたこと記しておく。
(1)「ふだん、授業を受けているとき、つまり勉強するときの真剣さ、緊張感と同じ気持ちを持って受験してほしい、そのために制服を着て受験しなさいと言われました。うちは校則が厳しく、コロナでオンライン授業のときも、自宅で制服を着なければならなかった」。
制服を着ることで勉強するときの真剣さ、緊張感が保てる、という理屈はおかしい。私服では真剣に取り組めないのか。この理屈を延長させれば、自宅で勉強するときも制服を着なさい、ということになってしまう。なるほど、オンライン授業で制服を強制するのはそういう理由があってのことか。
制服=勉強に身が入る、という発想は、ちっとも学問的ではない。やめてほしい。
(2)「共通テスト、いくつかの大学入試では学校でまとまって受けに行きました。教員はそれに付き添うわけです。そういうしきたりらしい。制服着用だと「わが校の生徒」をフォローできるので、引率するときに楽なようです。教員はそう言っていました」。
大学入試を「生徒みんなで一緒に受けましょう」と学校単位でお膳立てするのはおかしい。受験は個人の行動であって、学校にはなんら関係ない。付きそう、引率するという発想は過保護につながり、生徒の自立性を損ねてしまう。また制服着用で自校生徒を見分けるという考え方は、まるで修学旅行感覚である。いちいち点呼をとるのだろうか。変だ。
(3)「大学入試はわが校の教育成果を示す場である。いわば学校行事みたいなものだ。それに神聖な場でもある。だから制服を着て受験しなさい」。
これも修学旅行感覚である。しかも管理色が強い。大学入試は学校行事とはまるで無縁だ。神聖な場かどうかは、受け止め方にもよるが、だからといって私服はダメということにはならない。よほどハデな服装でない限り、試験場で咎められることはない。この理屈からいえば、制服がない学校は受験できなくなる。
(4)「君たちは卒業するまでわが校の生徒である。その誇りを示すために制服を着て受験してほしい。とくに国立大学や早慶など難関校を受けるとき、制服を着て、多くの方にわが校の水準を示してほしい」。
生徒不在の論理である。東大受験生に「制服で受けて」という教員もいた。その心は「うちには東大受験生がいるんだぞ」と報道を通じて自慢したかった、というものだ。
(5)「試験会場では制服で「正装」したほうが受けは良い。どこでだれが見ているかわからない。個性的な私服で受験して試験官からマークされ、大学に通報されて合否に影響が出ないとは限らない。だから制服を着なさい」
私服の受験生がマークされる、大学に通報される、入試の合否に関わる、などは常識的に考えてあり得ない。生徒にトンデモない話を吹き込んではいけない。ただし、「個性的な私服」はもちろん注意しなければならない。英文あるいは漢文(たとえば般若心経のような)がやたら連ねられている、物理の数式や化学の元素周期表が記されている、トレーナー、シャツなどは当然、着替えさせられる。これも常識的に判断できることだ。
以上、大学入試で制服を着用する合理性はない。
昨今、「ブラック校則」の問題点が指摘されている。髪型を細かく指定する(ツーブロックはあまりにも有名)、地毛証明を出させる、生まれつきの金髪を無理やり黒髪に染めさせる(裁判では染めさせた学校が勝つというおかしな判決がでた)、女子生徒の下着の色を白に限定する(男性教員がチェックするというハラスメントも報告されている)―――など、どう考えても人権を軽んじた校則がまかり通っている。
これに対して、生徒から反発する声があがり、保護者や一部教員も「生徒の言い分はもっともだ」と、「ブラック校則」は少しずつ改善される動きが見られる。
だが、まだまだひどい校則がある。たとえば、これだ。
「オーバー・ジャンバーコート等の着用は認めない。ただし、生徒指導部の異装許可がある場合はこの限りではない」
「男子のコート類の着用は認めない。ただし、遠距離通学や病気の場合は、学級担任を経て学校の許可を得ることができる」。
まじめな生徒は校則を遵守する。それは受験会場でも見られる。
共通テストの試験会場でジャンパー、コートを羽織らない受験生もいる。習い性だとしたら、あまりにもかわいそうだ。ジャンパー、コート着用が学校にバレたら校則違反になる、と考えているようであれば、日常的にこんな校則を押し付けてきた学校が悪い。
劇作家の鴻上尚史さんはツイッターでこうつぶやいた。
「この寒さの中、学校指定のコートしか着てはいけないだの、ジャケットの上には何も着てはいけないだの、マフラーとカーディガンは何度以下にならないとダメだの、すべて生徒のことなんか微塵も考えてないブラック校則です。こんなルールがある所は教育の場所ではない。それは生徒を管理し潰す場所です」(2023年1月25日)。
同感である。
受験生のみなさん。
大学入学試験会場へはどうか私服で出かけてください。
こんなところで教員の教えや、校則を守る必要はありません。
寒さで震えながら答案用紙に向かうなんて状況は避けたいところです。ベストコンディションを保てる服装で大学入試に挑んでください。