第15回 大学・大学入試情報コラム

東大合格高校ランキングの作り方――合格報道の歴史を振り返る

2021年5月
教育ジャーナリスト 小林哲夫

 今年の東京大合格発表日は3月10日だった。
 その翌日には東京大合格高校ランキングがネットに掲載されている。そして合格発表から翌々の日、12日夕方には「サンデー毎日」「週刊朝日」で東京大、京都大など国立大学合格ランキングが掲載された号が、駅や書店に並んでいた。大学受験業界では「東京合格号」と呼ばれている。
 なぜ、こんなに早く伝えることができるのか。
 簡単に言えば、合格発表日に全国の難関大学進学校実績が高い学校、調査機関(大学通信、「サンデー毎日」「週刊朝日」)にどどーっと生徒の東京大合格者数が知らされ、それをもとに集計されるからである。
 合格者情報はこんなに早く集まるのだろうか。東京大受験生からの情報がすぐに寄せられるということもあるが、東京大受験生の受験番号を把握するところも多く、合否をネットで確認できてしまう。少し前までは浪人生の合否状況が掴めにくかったが、いまでは早めにフィードバックされ、ほぼ100%調査ができる。
 こうして東京大合格発表日のその日にはかなりの学校から合格者数の情報が集まる。発表から遅くても2日後には東京大合格ランキング発表が可能なわけだ。5、6年ぐらい前までは、今日のような精度が高いランキングはできなかった。一部の進学校で受験生の合格情報がまとめられず、情報がなかなか集まらなかったからだ。
 いまも非公表、集計に時間がかかる学校はあるが、「サンデー毎日」「週刊朝日」の「東大合格号」におけるランキングの精度は95%以上といっていい。それは、大昔に比べると、高校が協力的になったからである。伝統的な進学校でも、両誌にランキング調査に間に合わせるため、学校は必死になって合格者数を確認するようになった。学校にとって年に一度、大切な広報となるからだ。

 東京大合格ランキングの報道史を振り返ってみよう。
 新制大学が誕生した1949(昭和24)年、「螢雪時代」(旺文社)が同年7月号でランキングを掲載している。1位は旧制第一高等学校293人。六三三四制への学制改革が行われたばかりで旧制高校が上位を独占していた。こうしたなか、新制高校トップは日比谷高校で36人を数えている。情報源は東京大広報課である。このころから1970年代前半まで、東京大は合格者の氏名、出身校をメディアに発表していた。そして、これはそのまま東京大学新聞に掲載されている。「螢雪時代」もこれをもとには1975年まで東京大合格ランキングを掲載していた。
 一方、当時は新聞も熱心に報じていた。1950年代から朝日、毎日、読売の各紙がときおり東京大合格校の上位10高校を載せており、たとえば、こんな解説をつけている。「兵庫の灘高、愛知の旭丘高、広島学院高(いずれも昨年は二十位以下)などが進出。かつて夏休みの集団予備校入学で話題をまいた愛媛県の愛光学園高校も二十四位とのし上がった」(毎日新聞1960年3月28日)

 一般週刊誌が東京大合格ランキングを掲載したのは、確認できたところでは1960年の「週刊読売」である。
 1964年、「サンデー毎日」が本格的にランキング掲載に着手している。同号に東京大文学部事務長のコメントが出ており、それが実に俗っぽい。
「日比谷(一九三)、西(一五五)は超ど級、それに次ぐのが戸山(一〇一)、新宿だが、最近十年間のベスト四の順位である。この四校のなかでもっとも成長率が高いのは、西高だ。十年前には五四人しか東大に入らなかったが、ことしは約三倍になっている。おそるべきは西高といえよう」。
 西高を恐れてどうするのか。
ここから「東京合格号」が始まり、今日=2021年まで58年間続いたロングセラー企画となった。
 1970年代になると、「週刊朝日」「週刊読売」「週刊現代」「週刊サンケイ」が「東大合格号」を企画し、4誌とも合格者全氏名を掲載した。
 だが、70年代半ば以降、東京大から合格者情報が伝わらなくなる。2000年からは合格者氏名が非公表となり、メディアは自力で合格者一覧を作らなければならなくなった。
 東京大の合格発表の方法は、次のように分けられる。
①1949~75年。受験番号、氏名が掲示。記者に出身校を発表。この期間、「東京大学新聞」では、全氏名、出身校を掲載していた(49年は未掲載。53年は高校名なし)。
②1975~86年。受験番号、氏名が掲示(82~86年、氏名はカタカナで表記)。以後、記者に出身校は非公表。出身校の所在地は公表。
③1987~99年。受験番号と氏名だけ(氏名は漢字に戻る)。以後、出身校の所在地は非公表。
④2000年以降、受験番号のみ。

 1975年、文部省(当時)は東京大に出身校名公表の中止を要請した。理由は「受験戦争をあおる」から。東京大は公表を取りやめる。東京大の入試広報委員長はこう話している。「報道機関が合格者ベストテンなどの特集を組み、いたずらに入試競争をあおる結果を招いているので、その防止措置:」(「週刊現代」75年10月16日号)。 
 これを受けて、「週刊新潮」では、「週刊朝日」編集長のコメントを載せていた。
「東大が合格者出身高校を発表しなくなったことについて「どこの高校から何人合格したという事実は存在しているわけですよ。事実がある以上、取材する。“政府高官”名ではないけれども、相手が隠すなら何とかしようと思うのがわれわれの商売じゃありませんか」「タテマエだったら、やるべきではないでしょう。だから新聞はやらない。が。われわれはホンネをねらっているんです。実態を伝えよう、というね。盗人タケダケしいかな」。
 当時、「受験戦争をあおる」という批判は強かったが、「サンデー毎日」「週刊朝日」は、他誌が撤退するなか、めげずに10年以上、「東大合格号」を出し続けた。通常号よりも2倍、3倍売れる年があり、両誌にとってはドル箱だったからだ。
 だが、やがて「週刊朝日」の根が尽きてしまう。
 1987年、同誌は「東大合格号から撤退する。編集長のコメントが「日刊スポーツ」に掲載されていた。
「投下するエネルギーがあまりにも膨大なんです。<略>最初のころこそ、合格者を100%割り出すことは、朝日の取材力を示すことでもあると考えたが、取材としての頂点を達したと判断した。入試制度も変わるし、このへんでエネルギーをもっと別のものに注ごうということです。<略>命がけでこのネタを取ろうという取材者冥利のある企画ではないから、この仕事をしたいという志望者は編集部にいなかった。<略>やめてどうなるかはわからないが、あとは読者の判断に任せたい。復活はないですね」。
 エネルギーとは、3カ月間にわたり延べ1200人を動員するもので、佳境に入ると、体育館のようなところを使って作業することもあった。

 どんな作業だったのか。
 東京大受験生は活用する予備校、通信添削会社、そして高校から東京大合格の可能性が高い受験生をリストアップしてもらう。模擬試験成績上位者、通信添削の受講者、校内での成績優秀者などである。A予備校、Bゼミナール、C塾、D通信添削、X高校からのデータを照合して東京大受験予定者を割り出して、高校別のリストを作るわけだ。
 東京大には一次試験があり、二次試験の一カ月前に合格者が発表される。受験予定者リストと一次試験合格者をすり合わせると、あらかた、合格予定者が浮かび上がる。
 開成、灘、筑波大学附属駒場、浦和、千葉などの現役、一浪組の東京大合格者は、事前の情報からすぐに「当確」が打てる。しかし、はるか昔に高校を卒業したり、模試を受験しなかったりする人は、受験予定者リストには登場しない。年配の塾講師がこっそり受けて、入試問題研究や進路指導資料づくりなどの仕事に役立たせる。こういう受験生までフォローできない。開闢以来、というような東京大合格実績がない高校も情報が足りない。
 また、模試では実名、実高校名が記されていないケースもある。仮面浪人であることをまわりに知られたくない受験生は、模試の上位成績者欄の所属・出身校には、進学実績がない高校や、「検定」を記入する。桜蔭、女子学院など女子校出身者に見られた。さらに、「田中一郎」「鈴木明」のようなよくある氏名は、同姓同名者が出てくる可能性があり、判断がむずかしい。
 とにかくとんでもない作業だった。
 「サンデー毎日」編集長をつとめた福永平和氏がこう記している。
「受験者情報のインプットは一年がかり。デスク一人を専任し、アルバイトも常時二人いる。前年暮れからは、アルバイトや編集部員の応援に繰り出し、最盛期の二月からはアルバイトも八十人以上に膨れあがる。発表の直前になると、大会議室に貸しフトンを持ち込んで二、三日は完全徹夜ということに。」(『プレジデント』)1992年10月号」。

 2000年から東京大合格者全氏名の掲載はなくなった。
同年、東京大の合格発表は受験番号のみとなったからである。これは「受験競争」をあおるからという理由ではない。世の中の趨勢に対応したものだ。
 1990年代、国立大学協会では、合格者報道をめぐって情報開示か個人のプライバシーかの議論が続いていた。99年、同協会は「合格者氏名などの個人情報は第三者からの請求があっても開示すべきではない」という指針を出す。東京大はそれに従って、合格者名簿の非公表を決めたわけである。
 このころ、各家庭でダイレクトメールがやたら送られるようになったことが問題となる。新興宗教からの勧誘も含まれていた。とくに東京大生は人気があった。「気持ち悪い。なぜ、自分が東京大生であること、そして自宅の住所まで知られているのか」と、プライバシーの保護を求める声が多くなった。
 また、ストーカーが社会問題となり、規制する法案が議論され始めたのもこのころである(「ストーカー規制法は2000年に施行」)。幼稚園、小中学校、高校など教育機関で住所録のついたクラス名簿が姿を消しつつあり、組織あげての個人情報保護の機運が高まっていた。
 それでも「サンデー毎日」は合格者全氏名を載せない形で、「東大合格号」を続けた。十分、勝負できると考えたからである。実際、そのとおりだった。そして、前述したように学校から合格者情報を得るという方法を徹底させたのである。
 まもなく、「週刊朝日」が「東大合格号」を復活させる。「週刊読売」改め「読売ウィークリー」も再び参戦するが、2008年に雑誌そのものが休刊してしまった。

 現在、「サンデー毎日」「週刊朝日」は、大学通信(大学教育、研究、入試情報などを提供する調査会社)の協力によって、高校からの情報提供をもとに「東大合格号」を作り、合格者別高校一覧を掲載している。もはや「受験戦争をあおる」という批判はほとんどなくなった。高校の1つの特徴として割り切って捉えられるようになったからなのか。甲子園優勝校のように。
 もっとも、学校からすればこれは少子化対策が大きい。「東大合格号」に取り上げられること、それが学校の命運を左右する、と。それはそれで企業のヒット商品売り上げみたいな発想で、教育機関としてなじむのかな、という気もする。

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