第6回 大学・大学入試情報コラム

「旧帝大」という呼び方はやめよう

2020年12月
教育ジャーナリスト 小林哲夫

 菅義偉首相は日本学術会議課員の任命拒否問題について、国会で問われこう答弁している。「旧帝国大学といわれる7つの国立大学に所属する会員が45%を占めている」。「旧帝国大学」(「旧帝大」)という実態は、もちろん存在しないが、ある大学グループを表す言い方である。旧帝大とは、帝国大学令(1886<明治19>年に公布)に基づいて設置された北海道帝国大、東北帝国大、東京帝国大、名古屋帝国大、京都帝国大、大阪帝国大、九州帝国大に加えて、植民地の京城帝国大、台北帝国大の9校をさしている。
 1947(昭和22年)に帝国大学令が国立総合大学令に変わって、上記の大学名称から「帝国」が外れ、49年には新しい教育制度、六三三四制の施行で、新制大学として今日までに至っている。なお、京城帝国大、台北帝国大は敗戦とともに廃校となり、今日ではこの2校を除いて旧7帝大と括られるようになった。
 なぜ、2020年代の今日になっても、旧帝大は時の総理のお墨付きまでもらって使われているのだろうか。歴史と伝統があり、難易度が高く、地域を代表する総合大学として、1つの大学グループとして7校を言い表すのに、使い勝手がいいからである。国ばかりでない。自治体にとっても旧帝大は便利なことばだ。
 たとえば、東京都教育委員会は都立高校に対して進学に重点を置くよう指導する際、「旧帝大合格者○○名」と数値目標を提示させることがある。
 大学受験業界では、このように大学をグループ分けすることがよくある。「MARCH」「日東駒専」「関関同立」などだが、いまでは大学受験以外でも広く知られるようになった。
 こうした大学のグループ分け、グループ名はだれがどうやって考えたのだろうか。
「旧帝大」は旧・文部省内で国立大学の予算配分を議論されていたときに使われていた。官僚が命名したお役所用語から始まったといっていい。
「MARCH」「日東駒専」「大東亜帝国」は、旺文社『螢雪時代』の編集長(1970年代~1980年代)をつとめた代田(しろた)泰之さんが名付け親である。以前、代田さんに話をうかがったとき、こう話してくれた。
「大学受験の講演のため全国の高校に出張して長旅をしているさなか、酒を飲んでいるとき、大学名で語呂合わせを考えたものです。大学受験の講演で聴衆が眠くならないよう、インパクトがある名称を考えた。同じような難易度、似たような歴史と伝統、そして近隣地域を組み合わせたのです」。
 代田さんは多くの作品を生み出した
 「日東駒専」に成城大、成蹊大、神奈川大を加えて「日東専駒成成神」(にっとうせんこませいせいしん)。「大東亜帝国」に拓殖大、桜美林大を入れて「大東亜拓桜帝国」(だいとうあたくおうていこく)。
 ほかに、「関東上流江戸桜」(かんとうじょうりゅうえどざくら)がある。関東学院大、上武大、流通経済大、江戸川大、桜美林大のことだ。「流淑関白麗山上江」(りゅうしゅくかんぱくれいさんじょうこう)は、流通経済大、淑徳大、関東学園大、白鷗大、麗澤大、山梨学院大、上武大、江戸川大をさしている。まるで漢詩のようだ。

 関西では「産近甲龍」(さんきんこうりゅう)、「産近佛龍」(さんきんぶつりゅう)、「産近甲大」(さんきんこうたい)。京都産業大、近畿大、甲南大、龍谷大、佛教大のグループである。さらに「摂神追桃」(せっしんついとう)または「神桃追帝」(しんとうついてい)など、摂南大、神戸学院大、追手門学院大、桃山学院大、帝塚山大をまとめたグループ名を考えた。 
 こんな叙情的なネーミングもある。「六甲の龍谷峡の大螢光」。六甲の龍谷=甲南大と龍谷大、峡=京都産業大、大=大阪学院大、螢=大阪経済大、光=大阪工業大をさすが、これは流行らなかった。
 代田さんの最高傑作はこれであろう。
「津田の東の本女(ぽんじょ)には、セイント・フェリスの泉あり。大妻・実践・共立の昭和女(しょうわおんな)の白百合は武蔵野跡に咲き乱る」。津田塾大、東京女子大、日本女子大、聖心女子大、フェリス女学院大、清泉女子大、大妻女子大、実践女子大、共立女子大、昭和女子大、白百合女子大、武蔵野女子大、跡見学園女子大。
 1980年代の命名だが、現在では通用しない。武蔵野女子大から「女子」がとれて共学になり、いまの大学生は平成生まれであり、「昭和女」は見られなくなった。
 グループの名付け親は代田さんだけではない。
「関関同立」という、いまでは古典の類に属する名称を考えたのは、1960年代から70年代にかけて、大阪の夕陽丘予備校理事長を務めた白山圭三さんだ。命名にいたる経緯を、こうふり返っている。
「関学、関大、同志社、立命館、この四つの私立大が、関西では入試レベルも高く、人気もある大学なので、これを総称して“関関同立”と言うことにしようや。『大学へアタック』で、はやらせや」(『創立三十年 夕陽丘予備講史』1981年)。
『大学へアタック』とは、1970年に大阪新聞に掲載していた受験関連の連載記事のことである。関西の予備校、大阪のブロック紙が発信した「関関同立」が、全国区になったのは興味深い。
 ところで、こうしたグループ分けについて、大学側はあまり快く思っていないようだ。「なんでうちがあんな大学と一緒に括られなければならないんだ。いい迷惑だ」と怒っているところもある。 
大学にすれば、自らの存在感を示すために新たなグループ分けを望む。2020年10月、ネットニュースで「早慶明」という括りが伝えられたとき、明治大関係者はおおいに喜んだものだ。こうしたグルーピングは予備校、メディアが行うものである。大学はそれを見守るしかない。だが、責めの姿勢を見せた大学があった。2017年正月、近畿大は大手紙の関西版で一面すべてを使って「早慶近」と見出しを付けた広告を掲載している。インパクト十分だった。
 最近では、新しい大学グループ名としてSMARTが生まれている。中学受験雑誌の編集長による命名だ。Sはソフィアの上智大、それ続いて明治大、青山学院大、立教大、東京理科大を並べたものだが、いま1つ定着しきれてはいない。
 さて、これら大学のグループ分けのなかでは、やはり「旧帝大」がもっとも根づいている。だが、それでいいのだろうか。
 繰り返すが、旧帝大という大学はこの世に存在しない。70年以上前の亡霊を蘇らせて、今の大学を変に権威付けすることに意味があるとは思えない。それどころか、「旧帝大」というだけで国から特別扱いされるのではという懸念がある。たとえば、大学の予算、人事、部局設置などで、公正、公平性を欠く政策が行われるなどだ。これでは大学全体に悪影響を及ぼしてしまう。 また、いくら「旧」であっても、日本の歴史をふり返ると、大学に「帝国」という、植民地支配をうかがわせるような言葉は付けたくないものである。
 だからといって、これに代わるグループ名がなかなか浮かばない。「大規模大学」「伝統的大学」「研究中心大学」では平板すぎる。困った。
 どなたか「旧帝大」に代わる名作を作ってほしい

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