第17回 大学・大学入試情報コラム
大学でbe動詞や複数形、小数や分数を教えてなにが悪い
2021年6月
教育ジャーナリスト 小林哲夫
「文科省委員会が調査してわかった日本のアホバカ大学」(「フライデー」2015年3月27日号)
すこし古い週刊誌の記事を紹介しよう。大学についての語り口が、2020年代のいまで通じるところがあるからだ。かなり刺激的なタイトルである。記事は大学の実名をあげて、中学高校レベルの教育が行われているケースを取り上げたものだ。
たとえば、この大学の講義「教養基礎講座」のシラバス(授業計画)が次のように紹介されている。
「日本語による表現能力の向上と基本的知識の修得を目的とします」「英語で書かれた文章を読み解く。第2回be動詞、第3回、一般動詞」「数理的な考え方やその処理方法は基礎から学ぶ。第2回小数表現、分数表現。第3回、不等式」
記事の元ネタになったのが、文部科学省が公表した「設置計画履行状況等調査の結果等について」である。ここには学部や学科の留意事項や履行状況などに関して改善意見が次のように付されている。
「大学教育水準とは見受けられない授業科目があることから、大学教育の質の担保の観点から、適切な内容に修正するか、または正規授業外でのリメディアル教育で補完すること」。
もう1つ、似たような記事を紹介しよう。
「「be動詞のおさらい」「小・中学校レベルの数学」…Fランク大学の驚くべき授業内容」(「週刊新潮」2017年1月26日号)にはこんな記事が掲載されている。
「たとえば、河合塾のランキングで偏差値35の○○大学の「1年英語(B)Ⅰ」では、〈be動詞と一般動詞・単数形と複数形〉として、2回にわたってbe動詞を学んでいる。あまつさえ、この授業の「準備学習等の指示」には、「辞書を持ってくること。予習をしておくこと」と書かれている。頭が混乱しかねないので念のために申し添えるが、中学1年生への指導ではないのである」(記事では、こちらも大学名は実名)。
文部省にすれば、be動詞を教えることは、「大学教育水準とは見受けられない」ものである。週刊誌記者にとって大学の授業として、「頭が混乱しかねない」らしい。
大学でbe動詞を教えることはそんなにいけないのだろうか。
学力が不十分な学生の面倒を見る大学教員からすれば、「大学教育の質の担保」をするために、be動詞や小数を教えなければならない。そうしなければ大学の授業が成り立たないからだ。このような学生の学力不足という現実について、文科省もメディアもなぜしっかり受け止めようとしないか。
文科省の言う「大学教育水準」は、高校までの学習指導要領を修了した上で身につける教養や専門知識と理解できる。だが、進学率5割を超えた現在、すべての大学にこの「水準」を突きつけるのは無理である。文科省そしてメディアの難関大学出身者は大学進学率2割台だった時代(進学率30%以上になったのは、1993年以降)の「エリート」さんには、いまの大学教育が見えていないのだろう。
そこで思い出したのが、10年前の週刊誌報道である。
「本当にあった『バカ田大学』 授業はアルファベットの書き方から」(「週刊ポスト」2011年11月10日号)である。
かなり屈辱的な見出しだ。記事にはある大学のシラバスとして、辞書の使い方、be動詞、小数の計算、円の面積が記されていた。
当時、私はこの学長から話をうかがっている。学長は次のように説明した。
「英語や数学が嫌いな学生は中学時代の躓きで先に進めなくなったことがわかった。それゆえ、中学時代からのやり直しの必要性を感じ、中学高校レベルの学習内容が記されたシラバスを作った。私たちはそれを正直にウエブサイトに公開した。同じような教育を行っている大学は表にしていない。でも、私たちは隠すようなことはしない、恥じていないからだ。私たちは、勉強嫌いになった状況を放置され続けた学生を受け入れ、高等教育を受ける意欲を取り戻させることまで請け負っている」
すばらしい。
これこそ、大学進学率5割時代の大学教育のあり方ではないか。
文科省は、大学の正規授業で中学高校レベルの授業を行うことに難色を示す。学習支援センターなどで教える分は、課外授業なので単位は関係がないため、文科省は文句が言えない。だが、こうしたやり直しの補習授業と正規の授業の線引きは、なかなかむずかしい。
こんなケースがある。
ある大学の経済学部の英会話授業では中学1年生レベルの英文を教えている。だが、中学1年生の教科書を使えば、学生の自尊心を傷つけてしまう。
そこで、英会話の舞台を学校から空港に置き換えた、「Do you have a book」ではなく、「Do you have a passport」となる。登場人物に「student」はいない。みな「businessperson」だ。学生は世界でビジネスをすることを思い描いて英語に親しみを持つようになった。
また、ある大学の工学部では自動車が好きな学生にエンジンの仕組みを教えたくても、その学生は方程式、関数、微分積分がわからない。四則計算もおぼつかない。そこで、中学レベルの数学の問題を作って解かせ、その数値をエンジンの回転数の計算に当てはめて教えた。
こちらの学生もエンジニアの自分をイメージして、計算問題に取り組んでいる。
大学教員はこうした手製のテキストを作って、学生に夢を持たせつつ、英語や数学に親しんでもらおうと涙ぐましい努力を続けている。
だが、文科省にいわせれば、これは大学の正規授業として、「大学教育水準」ではない。
文科省は、そんな堅苦しいことは言わないでほしい。正規授業に補習的な内容になることについて改善を求めないでほしい。
提案がある。2年次までは教養教育の1つとして、中学高校のやり直しをある程度は認めたらどうか。学生はそれをクリアできないと3年次以降に進めない、とか。
大学の質保証を高いレベルで問うことより、基礎学力を中学高校のレベルであっても確かなものにすることが大切ではないか。
大学でbe動詞や複数形、小数や分数を教えてないことが悪い。文科省からの改善意見はうまくやりすごし、メディアからの揶揄は相手にしなければいい。
大学進学率5割超時代の学生の現状をわかろうとしない文科省、メディアのほうこそ、「アホ」「バカ」なのだから。