第8回 大学・大学入試情報コラム
大学名がつく駅を探ると、大学と地域の思惑がわかる
―――東横線「都立大学駅」「学芸大学駅」、東武伊勢崎線「獨協大学前<草加松原>駅」
2021年1月
教育ジャーナリスト 小林哲夫
2020年4月、首都大学東京が東京都立大学に校名変更となった。正確にいえば、むかしの名前に戻ったのである。
2005年、石原慎太郎・東京都知事(当時)の鶴の一声で名づけられた首都大学東京はしばらく評判が芳しくなかった。教員から「学会などで大学名がなかなか浸透せず、旧都立大と説明することがあった」、学生からは「就職活動の時、私立大学と間違われて不利だ」と言われたのである。そして小池百合子・現都知事によって「首都大学東京」は葬り去られてしまう。
東京都立大学をめぐる動きをまとめると次のようになる。
①1991年、大学の所在地が世田谷区から八王子市南大沢に移転した。最寄り駅は京王線南大沢駅となり、東横線都立大学駅の近くには東京都立大学は存在しなくなった。
②2005年、首都大学東京に校名変更し、東京都立大学が消滅する。
③2011年、東京都立大学附属高校が閉校。同校の敷地にはまったく別ものの都立桜修館中等教育学校が開校する。これで「東京都立大学」という名称は完全に姿を消した。
④2020年、東京都立大学に改称。
2人の都知事に翻弄された大学名をめぐるゴタゴタにあって、何ごともなかったようにで~んと構えていたのが、東急東横線・都立大学駅である。同駅の歴史をふり返ってみよう。
1927(昭和2)年、渋谷、丸子多摩川(現、多摩川)間に東急横線が開業とともに、柿の木坂駅が誕生した。地元の柿の木という地名が由来となっている。1930年、府立高等前駅に改称する。旧制府立高等学校(都立大の前身)が柿の木坂駅近くに移転したことによる。1943(昭和18)年には、府立高等学校が都立高等学校に校名変更したため、 駅名も都立高校駅に改称された。
1949年、学制改革によって新制の大学が誕生したが、駅名はそのままだった。
1952年、都立大学駅に改称。
1990年代、東京都立大学が移転してから、地元では「都立大学駅はどうなるのか」としばらく話題になった。
東横線にはもう1つ、最寄り駅に大学が存在しないのに、大学の名がつく駅がある。学芸大学駅だ。その歴史は学校の名称変更とともに移り変わっており、都立大学駅とよく似ている。
1927年、学芸大学駅は碑文谷駅として開業した。1936年に青山師範駅、1943年には第一師範駅に改称した。戦後は、1952年に 学芸大学駅に改称している。ところが、1964年、東京学芸大学は都内の小金井市内に全キャンパスを統合してしまう。学芸大学駅が東京学芸大学の最寄り駅として使われたのは12年だった。都立大学駅が39年間、東京都立大学の通学駅だったことに比べると、学芸大学駅がその実態を伴う期間は短すぎる。ただ、東京学芸大学附属高校は移転せず、校名も変更せず、しっかり学芸大学駅を通学に使われている。
2021年、都立大学駅から東京都立大学がなくなって20年、学芸大学駅から東京学芸大学が消えて57年経った。この間、駅名改称の動きはあった。
1999年、東京急行電鉄(東急)は地域住民へ「都立大学」「学芸大学」からの改称についてアンケートをとっている。「都立大学」改称に賛成は630票、反対が436票だった。「学芸大学」も改称賛成票が多かった。しかし、いずれの駅も「改称賛成が3分の2に達しない」という理由で、改称は見送られてしまう。
その後、駅名改称の動きは出ていない。ただ、受験生が間違えることがあったようだ。都立大学駅(世田谷区)から東京都立大学(八王子市)、学芸大学駅(世田谷区)から東京学芸大学までいずれも1時間半以上かかり、間違えたらアウトだ。しゃれにならない。両大学とも入試案内などで受験生には最寄り駅を間違わないように呼びかけることがあった。2011年、東京都立大学は首都大学東京になってから、間違いがおこる心配はなくなったが、2020年に東京都立大学へと先祖帰りしたため、大学関係者は頭を悩ませたという。もっとも、受験会場となる大学の所在地は事前に確認するものであり、間違えるというのは、当日、よほど大きな勘違いをしない限り起こらないだろう。
なぜ、近くに大学がないのに都立大学駅、学芸大学駅はいまでも存在するのか。地元のあいだではブランドとしてすっかり定着したからではないだろうか。東横線お仲間の豪徳寺、田園調布、自由ヶ丘といった駅名は、セレブが住んでいそうな高級感が漂うと受け止める人たちもいる。不動産屋にたずねると「都立大学駅、学芸大学駅という名称で家賃が少し高い」らしい。
となれば、今後、大学という駅名はブランド力をますます持ちうるのだろうか。
2017年、東武鉄道伊勢崎線「松原団地駅」が「獨協大学前<草加松原>駅」に変更となった。獨協大学の犬井正学長(当時)はこう話している。
「この度の駅名変更を契機に、本学は今後さらに地域文化・教育の一翼として重要な役割を担い、草加市ならびに市民の皆様と共に歩みながら、魅力ある地域社会の発展に貢献することをお約束するとともに、本学の存在が地域のみなさまにとっても誇りと思っていただけるよう、引き続き大学運営に邁進してまいります」(「獨協大学父母の会」ウェブサイト2017年6月23日)。
大学が街を変えることができるか。街にハクをつける、ブランド力を持たせる。これは大学の発展にかかってくる。