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東京都の「英語スピーキングテスト(ESAT-J)」が抱える本質的問題(その1)

大津由紀雄
慶應義塾大学名誉教授・関西大学客員教授

2022年5月4日

都立高校入試に利用される、東京都の「英語スピーキングテスト(以下、ESAT-J。English Speaking Achievement Test for Junior High School Studentsの略称で、「イー・サット・ジェイ」と読みます)」について、さまざまな問題が指摘され、その中止を求める声が高まっています。ただ、ESAT-Jが抱える問題があまりにも多く、しかも多様なため、焦点がぼけてしまい、どこにその本質的な問題があるのかが判然としない状態になっています。そこで、2回にわたり、ESAT-Jが抱える本質的問題とわたくしが考えるところを2点取り上げ、できるだけわかりやすく論じたいと思います。
 念のために書き添えておきますと、それ以外の問題はこれらの本質的問題から派生して生まれたものと考えられるということで、重要ではないということを意味するのではありません。

 わたくし自身もESAT-Jの中止運動に関わっていますが、どうしても解けない謎がありました。それはつぎの問題です。
 令和3(2021)年9月24日付の「東京都中学校英語スピーキングテスト事業について」という文書の2ページ目に「東京都立高等学校入学者選抜では、令和5年度入学者選抜(令和4年度実施)から東京都中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)の結果を活用し、英語4技能のうち「話すこと」の能力をみることとする」とした上で、「ESAT-J不受験者の扱い」としてつぎのように記されています。「ESAT-Jを受験しなかった生徒も、東京都立高等学校入学者選抜において不利にならないように取り扱う。⇒ 当該不受験者の学力検査の英語の得点から、仮の「ESAT-Jの結果」を求め、総合得点に加算する」。
 つまり、「ESAT-Jの結果」を「当該不受験者の学力検査の英語の得点から」推定するというのです。それができるなら、多種多様の問題を抱えたESAT-Jをあえて導入する必要などないということになるからです。フーテンの寅なら、「それを言っちゃあ、おしめぇよ」と言うところです。
 実際、2022年3月2日の衆議院文部科学委員会で立憲民主党の吉田はるみ衆議院議員からこの点について尋ねられた末松信介文部科学大臣は「何か釈然としませんですね」と答えました。重要なやりとりですので、以下にその一部を引用します。

○吉田(は)委員 これは、最初に申し上げましたように、受験するのは公立の中学生です。私立の中学生で都立高校を受験する人は受けなくてもいいんですよね。だったら受けないわということが明らかになってくると私は思うんですが、この一定程度の、仮の結果を求めということ、大臣、問題があると思いませんでしょうか。大臣のお考えを是非お聞かせくださいませ。
○末松国務大臣 お答え申し上げます。東京都教育委員会に事務方が確認をしましたところ、スピーキングテストを受けなかった生徒が高校入試において不利になることがないよう、代替措置として、学力検査の点数に基づいて得点を換算すると聞いておりますが、その具体的な計算方法についてはまだ検討中という話でございます。そのように承知をいたしております。  いずれにしましても、高等学校の入学者選抜の実施方法等は、実施者であります東京都の教育委員会が判断をしますし、決定するものでありますから、換算の方法についても、東京都教育委員会が決定した上で、保護者に適切にやはり説明していく必要があると思うんですけれども、先生の今のお話を聞いていたら、何か釈然としませんですね。[下線 大津]
https://bit.ly/3LCjlTo

 「ESAT-Jの結果」を「当該不受験者の学力検査の英語の得点から」推定するという方法を採用すると論理が破綻し、どんな結末になりうるかは少し考えればだれでもわかることです。にもかかわらず、東京都教育庁がなぜそんな危ない橋を渡ったのか、それが謎でした。なにか止むに止まれぬ事情があるに違いありません。
 その謎解きの手助けをしてくれたのが武蔵大学の大内裕和さんのエッセイです。「情報・知識&オピニオンimidas」で連載をお持ちの大内さんは「文科大臣も「?」となった都立高入試英語スピーキングテストの構造的問題」(第28回)で、この問題を取り上げました(https://bit.ly/3kzrFaN)。
 大内さんの議論は妥当なものですが、紙幅の制約などがあるのでしょうか、端折られている部分もあるので、以下、事実などを補いながら謎解きの本筋を追っていくことにしましょう。
 冒頭に掲げたESAT-Jの正式名称からわかるとおり、ESAT-Jは東京都教育庁がアチーブメントテストとして立案したものです。つまり、都内の公立中学校の中学3年生全員を対象に、英語スピーキングの力について、目標をどこまで達成できたかを測り、その結果をもとに生徒自身が「どれくらい話せるようになったか」を知り、「レベルアップのための学習方法」が分かるということを狙ったものなのです。このことは令和4(2022)年4月に作られた「中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)のお知らせ」という文書(https://bit.ly/3OMwICC)にも明記されていますから、その意味づけが変わったということはないようです。
 本来アチーブメントテストであるESAT-Jを都立高校の入試に利用しようというところからゆがみが生じます。入試の一部と位置づけるのですから、本来であれば、他の科目の試験と同じ日に、同じ会場で実施するところなのですが、それは現実的ではありません。そこで、入試とは別に試験日と会場を設定し、そこで試験を行うことにせざるを得なくなりました。
 ところが、アチーブメントテストの受験者(都内の公立中学校の中学3年生全員)と都立高校の受験者は重なりはあっても、同じではありません。たとえば、北海道や沖縄の中学校の生徒が都立高校入学を志願するということもあり得ます。もちろん、話は国内に限ったことではなく、海外の学校の生徒が入学を志願する可能性もあります。入試を受けに一度は東京まで足を運ばなくてはならないことは覚悟するとしても、二度も、となればことは簡単ではありません。しかも、テスト本体の所要時間は10分とかからない英語スピーキングテストのためだけにということなのですから。
 加えて、新型コロナの問題がまだ不安定な状況ですから、試験日や予備日に都道府県をまたいだ移動が禁止されている可能性もあります。
 そこで打ち出されたのが問題の推定方式だろうと考えられます。
 ちなみに、「実施日に受験できなかった場合の予備日」(12月18日)という設定もあります。予備日については、大分以前から「インフルエンザ等学校感染症の罹患等により、当日受験できない生徒のために予備日等を設定すべきである[ルビ削除–大津]」(「東京都立高等学校入学者選抜英語検査改善検討委員会報告書」平成29(2017)年12月、p. 8、https://bit.ly/3KBOiWM)としています。予備日と上で述べた推定方式採用の関係は明確に説明されていませんが、予備日のほうは体調不良などの理由で試験日に受験が叶わなかった生徒を念頭に設定されたものと考えられます。
 さて、ひとたび、推定方式が導入されると、話すのは得意でないという生徒はESAT-J受験を回避し、推定方式を選択するという「知恵」が生まれます。実際、進学塾などでは、そのような指導をしているところもあると耳にしました。
 この問題がもっと広く知られるようになると、教育庁としてもなにか手だてを講じる必要が出てきます。手っ取り早い方法は推定方式を撤回することですが、試験日まで半年強しか残っていないこの時点でそのような決断をすれば大混乱になることは目に見えています。
 結局のところ、なにが問題だったのかを考えると、こんな次第ではなかったかと思います。①都立高校に入学する生徒が英語を話す力を身につけている状態にしたい、②そのためには、都立高校入試に英語スピーキングテストを導入するのが早道だ、③しかし、自前でスピーキングテストを開発し、実施するのは現実的でない、④それなら、民間業者でスピーキングテストのノウハウを持っている業者を選んで、都教育委員会と業者が協定を締結し、スピーキングテストを共同で開発・実施することにしよう、⑤世間の理解を得やすくするために、そのテストは第一義的に都内の公立中学校の生徒たちの目標到達度を測るもの(アチーブメントテスト)とし、その結果を都立高校の入試に利用しよう。
 ところが、上で指摘した問題が生じることとなりました。この問題は大内さんが正しく指摘するように構造的問題であるので、どこか一部分をいじることで解決できる問題ではありません。解決のためには、ことを一度白紙に戻し、その是非を再検討することから始めるべきなのです。しかし、東京都としては長い時間をかけて検討してきた経緯があり、実施直前まで漕ぎつけたこの時点で白紙撤回はできないという姿勢を崩していません。
 折しも、この4月に東京都教育長に就任した浜佳葉子さんは東京新聞に掲載されたインタビュー(2022年4月30日付ネット版)で、「大切にしたい姿勢は」と問われ、「教育庁は教職員6万人、子ども100万人の巨大な組織。いかに一体感をもって取り組むかが大切だ。誰一人取り残さないという目標に向け、大人の事情ではなく子どもにとって何が一番良いのかを第一の判断基準にしたい」(下線 大津)と答えています。
 今回の問題は上で明らかにしたように「大人の事情」で生じたものです。「子どもにとって何が一番良いのかを第一の判断基準にしたい」という姿勢を第一に考えるのであれば、「[ESAT-Jの導入時期などを—大津]見直す必要はないと思っている。テストの結果を来春の都立高校入試で活用する方針も変わりはない」(上の段落で触れたのと同じインタビュー)という結論に至ることはあり得えません。

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